10年の収穫

転職活動が佳境に突入しつつまだ決着していないものの、自分の場合現職の仕事の引き継ぎも後任を見つけるところも含めて時間がかかりそうなこと、東京の仕事自体はタイミングはさておき見つかりそうな感触があること、いずれにせよ夏には日本に帰国して生活環境や娘の小学校を決めたいことなどを鑑みて事前に家族と会社にザックリとした日本帰国プランを伝えました。

一番緊張したのは中国の家族に帰国プランを伝えること。過去10年香港と中国で暮らしてきて、本帰国することを具体的に考えたり、そういう可能性があるという話すらしてこなかったので、向こうからすれば青天の霹靂。特にゼロコロナ政策を続ける中国ではまだ国境を越えるハードルが高いこともあり、義両親からすると本帰国すなわちしばらくは孫にも会えないということです。

伝えるときは久しぶりに心臓バクバクしました。勇気を振り絞って背景を説明して、もちろん義理の両親も妹も弟も驚いていて気持ちの整理の面でこれからの部分もあると思いますが、一応は納得してもらえたようです。

過去10年を振り返ると中国の家族のサポートなしには間違いなくここまで来られなかったと思います。最初の最初は長女である妻が連れてきたのが中国語も喋れない日本人ということで特に義父から結婚を反対されていたらしいですが、妹や弟のサポートで何とか結婚にこぎつけ、その後は家族の一員として暖かく迎えてくれて、年齢も比較的近い妹弟が多い賑やかな家族ということもあり、一緒に遊んだりお喋りしたり本当に仲良くやってきました。帰国したらこっちの家族に頻繁には会えなくなるのは寂しいですが、コロナが終わったらお互い行き来して遊びたいねという話をしました。

そして仕事。深センのオフィスは全部で6人いますが全員が自分で面接して採用を決めたメンバー。もちろん永遠に続くチームなんかなく、特に今の会社は平均在職期間がせいぜい数年という会社なので、そのうち誰かは抜けるという期待値ではいたのですが、その中で一応責任者である自分が一番先に抜けるというのは申し訳なく、心苦しさがありました。

が、帰国プランを伝えるとチームメートたちは驚いてはいたものの、すぐに外資的な「Congratulations」モードに切り替わり、その選択は理解できるし自分と家族にとって良いだろうみたいなポジティブな言葉をかけてくれました。皆人間的にも成熟していて、特に密に一緒に働いてきた3人の部下は帰国してもプライベートで関係を維持していきたいと思える人たちです。

過去10年強で仕事面でも学んだ事は多かったですが、一番大きな収穫はこういった家族や同僚との関係だったのかなと、ちょっと感傷に浸りつつ考えたりしていました。

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