10年とこれから

2021年も9月。思えば中国に来たのが2011年の8月末だったなあとパスポートのスタンプを見返してみたら、2011年8月26日でした。気づいたらあれから10年も経ってしまいました。

最初の半年は北京語言大学、次の半年は深セン大学で中国語をがっつり学び、2012年夏から前職の日系企業の深セン法人に採用されて初めて海外で働き始めました。それから色々あって2013年途中から香港に異動となり、そこから7年強を思いがけず香港で過ごすことになりました。で、2018年に転職した今の会社の香港法人から深セン法人に異動させてもらい、2020年9月に深センに戻ることに。

思い返してみると日本で新卒で入った会社を辞めて北京に来たときは収入はないし中国語は難しいし仕事の経験も特殊なスキルも大してないし、本当に中国語身に付くのかとか仕事見つかるかなとか、世の中から置いていかれているような気がして不安の多い日々でした。

結果的にはキャリアとしては一応良い方向に転がって、深センの小さなオフィスですがにわかマネージャーとして業務の責任者的なポジションにいるのは運がよかったとしか言いようがありません。香港にいるときはあんまり中国語使わなかったですが、言語が分かるからこそ深センに異動させてもらえたし、結果的にはやっておいてよかったという事になりました。人生どこかで関係なさそうな点と点がつながることがあるとよく言いますが、まさにそんな感じで7年の香港時代を経て色々つながった感じです。

そもそも何故中国に来たのかという最初の部分は、サラリーマンになることを選んだ自分がこの時代を生きていくにあたって自分自身に競争力とか価値がなければ他人に人生をコントロールされてしまうという危機感と、日本という国にすら依存せず海外でも働けるようになりたいという思いでした。日本の大企業の長期雇用は会社への依存を生むし、そもそも文化的に合わないので無理と判断して新卒で外資企業ばかり応募して運良くアメリカ企業の日本法人に入社出来たのを喜ぶのもつかの間、目の当たりにしたのは日本市場全体の凋落。

日本市場が国際的にプレゼンスを失っていたのは聞いてはいたものの、実際に働いている中で市場は多分どうにもならないし、会社に長くいても衰退していく市場の担当では自分が求めていた国際的な競争力とか価値は身につかないという実感がありました。そしてそれは同じ外資日本法人という枠組みで言えば他の会社も似たようなものだろうということも。

そんな危機感から日本を飛び出して10年経った今、自分は確かにちょっと珍しい経験とスキルを持つサラリーマンになり、当初の危機感をある程度は払拭出来てきたと思います。この10年がドラゴンボールの精神と時の部屋での修行期間だったとするならば、これからはセルや魔神ブウとの戦い。つまり、このスキルとか経験を使って何をするのかという事になってくるのかなと思います。まだコレという戦いは決まっていませんが、残りの人生におけるライフワーク的な、ミッション的な、自分にとってのセルや魔人ブウを見つけてみたいという気持ちが芽生えています。

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