教育論

今娘は深センのとあるインター幼稚園に通っていて、この学校には小中学校が既に併設されており来年からは高校も出来る予定なので、深センにいる限りはエスカレーターでずっと同じ学校に行かせるつもりでいます。が、娘の友達の親が皆そういう考えというわけではなく毎年少なくない数の親が幼稚園はインターでも小学校からは地元の公立校に替えるそうです。

地元の学校は当然ですが中国の教育システム、つまり高考(大学受験)を目標に出来るだけ高いランクの大学に入るためにとにかく勉強させまくるスタイルです。これはほぼ日本の大学受験と同じ構図ですが、わたし自身小さいころ受験したくないという理由で高校受験で大学附属校ばかり受けて大学受験を回避したぐらい、昔からこの筆記試験1発勝負の受験が嫌いです。

筆記試験が嫌いなのはそもそも性質上、情報処理能力や記憶力といった人間の能力の一部しか評価できないのに、過剰に評価されてると思うから。これらの能力を一点集中で鍛えていってそれが得意な子供にとっては良いのかもしれませんが、逆にそれが苦手な子供にとっては苦痛でしかないし、さらに怖いのは香港や中国では過度な競争プレッシャーによる子供の鬱や自殺まで増えているということで、これはつまり「筆記試験が苦手であること=価値がない」とまで子供に思わせて生きていく上で一番大切な「自尊心」を失わせるリスクがあることです。どんな能力を持った人間でも自尊心や自信がなければ納得のいく人生を生きていくことは出来ないと思います。

わたしが考える教育の最終目標はこんな感じ。

  • 色んな事を試して視野を広げつつ自分の能力や興味がある分野を見つけること
  • 見つけた自分の得意分野の能力を伸ばすこと
  • 自分に足りない部分は人とうまく協力する能力を得ること
  • 人に言われたことを鵜呑みにせず自分の頭で論理的に物事を考えられるようになること
  • 自信を持った独立した人として人生を生きていけるようになること

 

特に娘の通っている学校は遊びを通して学ぶとか運動のプログラムが多く色んな経験が出来そうだし、欧米の教育プログラムの特徴としてディスカッションとか思考のプロセスを重視する部分において、目標に達するための環境は公立校よりも整っていると思います。さらに受験という枠組みによる縛りが最長高校までないということで、それだけで自由に色んな事を試す時間が多くなります。

自分自身も大学受験を経験せずに高校からエスカレーターで大学に上がった経験があり、高校3年間は大して勉強しなかったですが、とにかくよく遊んでバイトして同時に興味の向くままに色んなことを試して、たくさん本を読んで色々考えてた気がします。その間に特に何か凄いことを成し遂げたわけじゃないですが、今振り返っても人生で一番と言えるぐらい楽しい期間だったし、その後の人生に大きなエネルギーをもたらしてくれました。大学に入ってから1年間イギリスに留学してそこから大きく人生が動いていきましたが、きっと大学受験で疲弊した後であれば遊ぶこと優先で留学なんて考えなかったかもしれないし、自由で楽しくヒマな高校3年間があったから今があると思います。

と、妻のママ友が娘を公立小学校に行かせるかインターで続けるか迷っているという話を聞いたのをキッカケに、ちょっと真面目な教育論を書いてみました。

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