日中ハーフの娘の言語状況

娘がインター幼稚園に通い始めて約1年が経ち、K2になりました。生まれてからずっと日中英の3言語に触れて来たので2歳ぐらいに話し始めたときから、ある程度は各言語を理解してますが、その時々で強い言語は揺れ動いています。

幼稚園に入る前は日本語と中国語が強くて英語がちょっと落ちる感じでしたが、今は中国語がダントツ1位に躍り出ています。幼稚園自体はインターで授業は英中2言語ですが友達は基本全員第一言語が中国語なので、最近は娘が発する言葉はほぼ中国語に。中国語が100とするなら英語は50、日本語は25とかそんな感じ。

日本語を忘れないように自分は意識して日本語で話しかけてますが、返事は全て中国語。聞き取れているのは良いのですが、なかなか日本語は発してくれず、最近は英語もあまり発さなくなっています。英語も聞き取れているので、何か中国語以外話したくないという心理があるみたいです。

そんな話を娘の同級生のシンガポール人とマレーシア人の華人夫婦としていたら、この家では子供が家族の方言(潮州語)を忘れないように何曜日は何語という風に特定の日を設けて家族全員その日は方言で話すと決めているそうです。面白そうなのでうちでも真似してみようということで、何曜日と決めて家で日本語デーを設けようということになりました。日本語を無理に話させることは難しいですが、ゲーム感覚で家族全員で遊びつつ試してみようと思っています。

日中ハーフの娘の言語状況」への1件のフィードバック

  1. 突然のコメント、失礼。大昔ですが、娘を1990年-1999年にHKIS(GK-G8)に通わせていました。学校は英語、家では日本語(プラス、アマさんとは英語)、土曜日に2時間のインター生向け塾、と言う生活だったのですが、G2の頃に一度だけ、「家でも英語でいい?二つ話すのは面倒臭い。」と言いました。私たち夫婦は、全部英語は勘弁!だったので、「XXちゃんを見てご覧、家では広東語でしょ?だから、我が家では日本語だよ。」と言ったら、「そっか〜、わかった〜。」と納得してくれました。あれは助かったね。HKISでは北京語の授業がありましたが、先生が台湾系の方だったので、見事に倦舌音がなかったので、それを(誠に申し訳ない、馬鹿にした言い方だったのでしょう)指摘したら、それ以来、絶対に私には中国語では話しかけてくれませんでした。とても後悔しています。(一人で米国の高校に行った時には、シンガポール系や台湾系の同級生と中国語でも話していた模様。)今までの所、娘の人生は、日本=1.5年、香港=12.5年、米国=21年です。中学生の頃から、「私は何人?」と言う疑問は常に湧いてくるそうですが、我が家の家訓が「ユニークであれ、人生は一回限り!」なので、他人とは違う人生を大いに誇りに思っているのが頼もしい限りです。米国で生物学の博士号を得て、今は免疫学者・分子生物学者として働いています。コロナ前の2年前に札幌で会って以来、行き来できないのが悲しいです。(63歳父)

kiza へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください